Wherever I am

世界中どこにいても、自分らしく、わたしの目に映る世界の様子を、きまぐれに書き綴ります。

東京での店じまい

カンボジアに向けた準備が整い、心を落ち着けています。



思い返せば、大学進学のために上京した時期から始まった、東京生活も今年で10年目。
色々なことがありました。

ひばりヶ丘→カナダ(トロント)→江古田→向ヶ丘遊園と、移動を続けた日々。

もう、東京に住むことはない可能性もあるのに、不思議と、あまり寂しい気持ちがしない。
(というか、厳密には江古田しか東京じゃない。カッコつけて”東京”と言いたいだけ。笑)

どんなに長く住んでも、東京という場所にどうしても愛着が湧かないのが不思議ですが、いつ、再び訪れても、いつでも受け入れてくれる懐の深さを感じる町だから、離れるのが寂しくないのかもしれない。

それに、東京が与えてくれたのは沢山の人との出会いであり、その出会いから得た人とのつながりが
今もこれからも脈々と続いていく確信があるから、寂しくならないのかもしれない。

住み慣れた部屋から、1つ、また1つと家具が減り、最後の最後にスーツケースと自分だけが部屋に取り残された時、人は身一つで生きていることを思い知らされる。

自分ひとりで、何の装備もなく、すっくと佇む時、その人自身からどんな匂いや、色や、歴史が醸し出されるか、人が試される瞬間だと感じる。
これまで、佐賀を発つ時、カナダを発つ時にも同じように感じました。

そして、日々に忙殺されていると、ついつい忘れてしまうけど、人生が有限であることを思い知ります。

だからこそ
この激動の時代に生きる、1人の日本人として
カンボジアという国を自分の目で見て、現地の人々と向き合える機会を頂いたことに
日々感謝しながら過ごします。

首都に閉じこもることなく、自分の足で各地を歩き、現地の人との会話を通じて
カンボジアの今を、五感をフル稼働させて感じます。
考えます。
伝えます。